井伊の赤備・天正壬午起請文・甲信州諸士連書誓盟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/13 14:15 UTC 版)
「叶坊」の記事における「井伊の赤備・天正壬午起請文・甲信州諸士連書誓盟」の解説
武田家の旧臣が徳川家康に属すにあたり秋葉山にて起請文を提出した。その写本は国立国会図書館等に所蔵されている。取り纏めの奉行は成瀬吉右衛門と日下部兵右衛門であり、祈祷者は叶坊、場所は現在の秋葉山本宮秋葉神社上社の社務所付近である。江戸時代、起請文の原本は秋葉不動堂(叶坊)にて所持していた。原本管理の経緯について、秋葉山山中に坊を構えていた叶坊が家康の命令で起請文を持参して浜松城下に転居し、その子孫が明治維新まで管理したが後裔と共に行方はわからなくなったという。 この武田旧臣の多くが井伊直政に属し赤備となったため、彦根藩からは毎年藩主代参があり、井伊直孝から秋葉山に金銅鳥居が寄進された。
※この「井伊の赤備・天正壬午起請文・甲信州諸士連書誓盟」の解説は、「叶坊」の解説の一部です。
「井伊の赤備・天正壬午起請文・甲信州諸士連書誓盟」を含む「叶坊」の記事については、「叶坊」の概要を参照ください。
- 井伊の赤備天正壬午起請文甲信州諸士連書誓盟のページへのリンク