井上達次とは? わかりやすく解説

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井上達次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/06 09:21 UTC 版)

 
井上達次
時代 幕末 - 明治時代
生誕 文政10年(1827年
死没 明治20年(1887年12月4日
別名 :孝義、孝廉
:棣斎
墓所 福田寺山口県周南市
主君 毛利元蕃
周防徳山藩
氏族 安芸井上氏
父母 父:井上之祐、母:井上之孝の娘
兄弟 快雪、男子、達次
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井上 達次(いのうえ たつじ)は、幕末から明治時代にかけての徳山藩士。孝義孝廉。兄は漢学者井上快雪

生涯

文政10年(1827年)、徳山藩士・井上之祐の三男として生まれる。達次の生まれた井上家は安芸井上氏の一族で、井上元有の次男・就正の流れをくみ、徳山藩士としての家祖は井上就正の孫である井上家正である。

兄の快雪漢学の道を進んだが、達次は剣術に力を入れた。徳山藩の藩校・鳴鳳館で神道無念流の指南役を務めた小田勘衛門から剣術を学び、嘉永3年(1850年)には藩命により常陸笠間藩へ遊学する。次いで江戸に出て桃井春蔵士学館に入門し、塾監となって鏡新明智流の奥義を極めた。文久元年(1861年)に徳山藩へ帰って道場を開き、門下生に神道無念流と鏡新明智流の二流を教えた。

明治20年(1887年12月4日に死去。享年61。

参考文献




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