五蘊(五陰)・十二処・十八界
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/01 04:28 UTC 版)
「三科」の記事における「五蘊(五陰)・十二処・十八界」の解説
全ての法は、下記の五蘊の一つの蘊、十二処の一つの処、十八界の一つの界とにおさまる。およそ法はそれぞれの自性を保持するものであるから、ある法がそれと別個な自性をもつ他の法の中におさまるということは決して無い。諸法を五蘊、十二処、十八界と説くのは、衆生(有情)の愚かさ、あるいは資質、あるいは希求するところに3通りがあるから、それらの各々に応ずるためとされる。 また、原始仏典においては、我々の全経験領域をさしてこれらを一切(梵: sabbam、我々の全経験領域)と呼ぶものの、「我がある」とは明言されず、しかもそのどれもが無常であり、苦であり、非我であり、それらを厭離し離欲すれば解脱して悟るといわれる。
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