二水永
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 07:02 UTC 版)
寛永3年(1626年)に常陸水戸の富商・佐藤新助が、江戸幕府と水戸藩の許可を得て鋳造したのが始まりだが、この時はまだ、正式な官銭ではなかった。 このとき鋳造されたとされるものが、いわゆる二水永(にすいえい)と呼ばれる「永」字が「二」と「水」字を組み合わせたように見えるものであり、背(裏面)下部には「三」と鋳込まれ、鋳造年の「寛永三年」を意味するといわれる。 新助はやがて病死し鋳造は途絶えるが、九年後の寛永12年(1635年)に新助の息子、佐藤庄兵衛が後を継ぎ再び鋳銭を願い出、翌寛永13年(1636年)に鋳造を再開した。このときの鋳銭が背面に「十三」と鋳込まれたものであるとされる。 寛永年間私鋳寛永通寳寛永3年(1626年)水戸銭二水永背三 寛永通寳寛永13年(1636年)頃水戸銭二水永背星
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