久賀三夏とは? わかりやすく解説

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久賀三夏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/09 18:54 UTC 版)

 
久賀 三夏
時代 平安時代初期
生誕 不詳
死没 不詳
改名 三夏王(皇族時代) → 久賀 三夏(臣籍降下後)
別名 興我 三夏
官位 正五位下信濃守
主君 仁明天皇文徳天皇
氏族 久賀(興我)朝臣
父母 父:明日香親王、母:不詳
兄弟 三夏三常、女子2名
特記
事項
久賀(興我)朝臣始祖。
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久賀 三夏(こが の みなつ)は、平安時代初期の貴族。氏は興我とも記される。桓武天皇の孫。三品明日香親王の子。


経歴

弘仁9年(818年)3人の兄弟とともに、久賀(興我)朝臣姓を与えられて臣籍降下する。これは桓武天皇裔の二世王に対する初めての賜姓で、天長2年(825年)の葛原親王の子息(平高棟ら)に対する平朝臣姓の賜姓より7年早い[1]

承和5年(838年無位から従五位下直叙され、承和7年(840年雅楽頭に任ぜられる。その後、仁明朝では丹後守左馬頭を歴任し、承和12年(845年従五位上に叙せられている。

文徳朝の嘉祥4年(851年正五位下に叙せられ、翌仁寿2年(852年信濃守に任ぜられた。

官歴

六国史』による。

脚注

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  1. ^ 『日本後紀』天長2年7月6日条

参考文献




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