久賀三常
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/10 02:00 UTC 版)
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時代 | 平安時代初期 - 前期 |
生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
改名 | 三常王(皇族時代) → 久賀 三常(臣籍降下後) |
官位 | 従五位上、左兵庫頭 |
主君 | 文徳天皇 → 清和天皇 |
氏族 | 久賀朝臣 |
父母 | 父:明日香親王、母:不詳 |
兄弟 | 三夏、三常、女子2名 |
特記 事項 |
久賀朝臣始祖。 |
久賀 三常(こが の みつね)は、平安時代初期から前期にかけての貴族。桓武天皇の孫。三品・明日香親王の子。
経歴
弘仁9年(818年)兄・三夏を含む明日香親王の3人の子女とともに、久賀朝臣姓を与えられて臣籍降下する。
桓武天皇孫に当たる二世王であったが五位への直叙はなされず、六位を経て斉衡3年(856年)従五位下に叙爵。清和朝の貞観5年(863年)従五位上に叙せられ、のちに越中権守・左兵庫頭を歴任した。また、貞観12年(870年)新羅の入寇を防ぐために田邑山陵(文徳天皇陵)に派遣されている[1]。
官歴
『六国史』による。
- 弘仁9年(818年) 8月22日:臣籍降下(久賀朝臣姓)
- 斉衡3年(856年) 正月7日:従五位下
- 貞観5年(863年) 正月7日:従五位上
- 貞観7年(865年) 正月27日:越中権守
- 貞観11年(869年) 2月16日:左兵庫頭
脚注
参考文献
- 久賀三常のページへのリンク