久留島通政とは? わかりやすく解説

久留島通政

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/25 23:02 UTC 版)

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久留島通政
久留島通政像(安楽寺蔵)
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 寛文元年(1661年
死没 享保4年11月13日1719年12月23日
改名 万千代、通総、通厚、通政
別名 帯刀(通称)
官位 従五位下伊予守
幕府 江戸幕府
主君 徳川綱吉家宣家継吉宗
豊後森藩
氏族 久留島氏
父母 久留島通清山内忠義
兄弟 通政、林正栄、毛利高久毛利高慶
通重、武田信令正室、高木守興正室ら
戸沢正誠山内豊昌養女休
永井尚品正室、通用通孝通重光通山崎尭治正室
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久留島 通政(くるしま みちまさ)は、江戸時代前期から中期にかけての大名。通称は帯刀。豊後国森藩4代藩主。官位従五位下伊予守

略歴

3代藩主・久留島通清の長男として誕生。幼名は万千代。初名は通総、通厚。

寛文9年(1669年)7月11日、4代将軍徳川家綱にお目見えする。元禄13年(1700年)12月5日、父の死去により家督を継ぐ。宝永6年(1709年)4月15日、従五位下伊予守に叙任する。藩政には不明な点が多い。通政は正室を2人迎えたが、いずれも嗣子に恵まれず、元禄16年(1703年)に脇坂安照三男の久留島通用(織部)を養子にするが、翌年に病没した。その後、池田光仲の六男・久留島通孝(主殿)を養子にするもすぐに廃嫡している。そして、他家に養子に出ていた六弟の通重を養嗣子としたが、正徳5年(1715年)2月に先立って死去したため、叔父・久留島通貞の次男で従弟にあたる光通を養子として跡を継がせた。

享保4年(1719年)11月13日に死去した。享年59。

系譜

脚注






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