久松松平家多古藩の立藩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 00:27 UTC 版)
勝忠の跡を継いだ勝以(勝義の九男)は、書院番頭や側衆などを務めたのち、正徳3年(1713年)に大坂城定番となった際に摂津国島上・島下両郡内において3000石を加増され、1万2000石の大名となって多古藩を立藩した。大坂城定番を辞職すると、摂津国内の知行地は下野国内に移されている。 第6代藩主松平勝権は彦根藩井伊家からの養子である(井伊直弼の兄にあたる)。天保元年(1830年)に小石川西富坂上の上屋敷に学問所(藩校)を創設した。藩主子弟の他、領民の希望者にも寺小屋教育終了者を対象として入学が許された。
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