乃而浦倭館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/03 05:01 UTC 版)
薺浦倭館ともいい、現在の慶尚南道昌原市鎮海区薺徳洞槐井里にあった。当時は北方にある熊川県が管轄していた。三浦のうち最も大きなもので、1494年の在住日本人人口は2,500人に達した。日本人側は朝鮮との居留人数に関する約定を破ったため朝鮮側が送還するなどしたが、いつのまにかまた増えるという状態であった。1510年には朝鮮側が制裁として貿易統制を加えたことによって三浦の乱が発生。一旦閉鎖されたが、1512年の対馬と朝鮮の条約によって再開され、1544年の倭寇事件で再び閉鎖され、復活しなかった。
※この「乃而浦倭館」の解説は、「倭館」の解説の一部です。
「乃而浦倭館」を含む「倭館」の記事については、「倭館」の概要を参照ください。
- 乃而浦倭館のページへのリンク