乃木式教育
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 19:20 UTC 版)
乃木は当時の学習院の雰囲気を一新するため、全寮制を布き、6棟の寄宿舎を建て、学生と寝食を共にして生活の細部にわたって指導に努めた(学習院は1908年(明治41年)に目白(現・東京都豊島区目白)の現在地へ移転した)。その際の乃木の居室であった総寮部は、「乃木館」(国登録有形文化財、乃木没後に移築)として現在も保存されている。 乃木は、剣道の教育を最重要視し、時には「日頃の成果を見せよ」と生徒に日本刀を持たせ、生きた豚を斬らせることもあった。当時、学習院中等部に在籍した近衛文麿(後の公爵、内閣総理大臣)は、幼少期には大変な怖がりで一人で出歩くこともままならなかったが、これを見かねた乃木が自ら竹刀を持ち近衛に打ち込んできた。近衛は「乃木さんのメンは本当に痛かった」とのちに回想している。こうした乃木の教育方針は、「乃木式」と呼ばれた。
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