主要な中国の公爵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 18:35 UTC 版)
咸熙元年の五等爵制発足時には、公となったのは司馬氏の長老である司馬孚であり、晋王朝成立後は諸侯王となった。その他では魏皇帝の外戚二名が公となっており、発足時点では公は3名のみであった。三公であった王祥・鄭沖、そのほかの重臣賈充、石苞、衛瓘、裴秀、何曾たちが侯となったが、晋王朝成立後はいずれも公となっている。またこの際には魏の諸侯王たちが公に格下げされている。 呉から降伏した孫秀、歩璿も公に叙せられている。太康の役の論功行賞としては、王渾が公となっている。 以降西晋期には宰相であった張華、前涼の基盤を作った張軌などが公となっている。東晋では建国に功のあった王導と、後に反乱を起こした王敦、前秦からの防衛に成功した謝安、武将の陶侃。そして東晋を滅ぼし宋を建国した劉裕などがいる。 唐においては太宗即位後に長孫無忌、高士廉(義興郡公)などの功臣が公となっている。また宋代以降、孔子の直系である当主は衍聖公の爵位を受け、清末まで続いた。
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