主導権の確保
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1982年12月、政構研は政策研究会リーダーの石橋政嗣副委員長の辞意をきっかけにした改造人事で馬場書記長の更迭に成功し、新書記長に社研の平林剛新書記長を選出させた。新体制では副委員長に田邊誠、国会対策委員長(国対委員長)に山口鶴男などが執行部入りを果たして挙党態勢の形式を取った結果、政構研は党内での影響力を増した。なお、旧江田派の田邊は政構研とは別に政策集団として水曜会を結成した。 1983年1月、山口の国対委員長就任に伴い武藤山治が新代表世話人となった。3月に平林書記長が急死すると、田邊が副委員長兼任で書記長代行に就任し、直近に迫った統一地方選挙と参議院選挙を戦った。ここで社会党が大敗し、飛鳥田委員長が引責辞任すると石橋が新委員長に就任した。政構研はこれを支持し、田邊が代行からそのまま書記長へ正式就任した他、山口国対委員長が執行部に残留した。この頃、協会派は内部抗争が激化し、政構研の党内掌握が容易になった。
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