主な教官
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/03/23 09:48 UTC 版)
原双桂: 享保3年(1718年)生まれ。京都の人。古学・伊藤仁斎派に属し、伊藤東涯に学んだ。医師でもあった。 延喜2年(1745年)、藩主・土井利里が京都所司代のときに招聘し、18年間、教官を務めた。 恩田鶴城: 元文3年(1738年)生まれ。古河の人。原双桂門下。安永4年(1775年)、藩主・土井利厚が教官に任じた。 小高益卿: 天明4年(1784年)生まれ。古河の人。恩田鶴城に学んだが、朱子学派の立場をとった。兵法にも詳しかった。藩主・土井利厚、および、土井利位に仕えた。 小高葛城: 小高益卿の長男。朱子学者。幕末に教官となり、廃校になるまで務めた。藩主・土井利則、および、土井利与に仕えた。
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