丸子山墳墓群
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/07 02:29 UTC 版)
三入八幡神社のある新宮城から南に伸びる尾根の最南端に丸子山(新宮城の支城跡)という低い山が存在していた。1976年(昭和51年)8月に発掘調査が行われ、この場所から約2000年前の女性と推定される全身の骨、そして左腕に嵌ったままの貝で作られた腕輪が発見された。調査の結果、この狭い領域に子供用の石棺を含め15基の石棺が発見された。当時は数十基の石棺が存在したが、新宮城の築城や神社の建立等で破壊されたと推定される。「貝の腕輪」に使用された貝は沖縄近辺の海にしかいない種類で、九州では数多く発見されているが、中国地方での発見は非常に珍しく、この丸子山墳墓群で出土したものが最大の大きさであった。現在の三入周辺を支配していた豪族が、極めて大きな勢力を誇っていたことが伺える。 後に丸子山は造成によって破壊されてしまったため、「貝の腕輪」は広島市文化財団が保管し、女性と子供の石棺は広島市立可部小学校で保存展示されている。
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