中伊三郎とは? わかりやすく解説

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中伊三郎

読み方なか いさぶろう

医者本姓上田、名は実、字は端、号は凹凸堂・芝蘭亭。丹波生、大坂京都住。中天游徒弟文政年間銅版画工夫した万延元年1860)歿、68才。

中伊三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/30 01:46 UTC 版)

中 伊三郎(なか いさぶろう、寛政2年(1790年)/寛政5年(1793年) - 万延元年5月3日1860年6月21日))は江戸時代京都銅版画家。

来歴

京都の人。姓は中屋氏。名は亥。字は端。凹凸堂、芝蘭亭、中端、中亥、中玉樹、中環(たまき)と号した。中屋伊三郎ともいった。中天游の従弟。後に大坂へ移ったが、晩年再び、京都に戻った。およそ文政5年(1822年)頃から天保期に作画しており、作品に「暦象図」、「把爾翕湮(パルヘイン)解剖図譜」、「日月写真図」 、「医範提綱」、「重訂解体新書銅版全図」などがある。享年68または71。墓所は大阪市北区東寺町4の竜海寺。法名を中家墓所仁岩道儀居士といった。門人に青野桑州、結城正明がいる。

伊三郎は上方における銅版画の発展に寄与している。

参考文献

  • 藤懸静也 『増訂浮世絵』 雄山閣、1973年
  • 吉田漱 『浮世絵の基礎知識』 雄山閣、1987年
  • 上田正昭他編 『日本人名大辞典』 講談社、2001年


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