青野桑州とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 青野桑州の意味・解説 

青野桑州

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/21 07:02 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

青野 桑州(あおの そうしゅう、天保13年(1842年)‐明治10年(1877年10月11日)は江戸時代末期から明治時代の石版画家、銅版画家。

来歴

幼名は仲次郎。伊予国の生まれで、先祖は細川勝元の家臣であった。父は旦之上村の庄屋の次男。幼少の時から画技を認められ、14歳の頃に江戸へ出て狩野雅信に師事している。紫宸殿の修理の際、師の雅信に従って京都に赴き、その補佐をした。明治元年(1868年)頃、5年程、大阪に滞在しており、この間に中伊三郎夫人のフサについて銅版画の技法を習得したと思われる。その後、明治6年(1873年)に東京に出て陸軍省に出仕したのち、明治7年(1874年)には紙幣寮に転任、1円紙幣原版の銅彫り作業にあたった。晩年は石版画の制作に意欲を注いだ。代表作として明治7年制作の砂目石版の「楠公桜井駅訣子図」(陸軍省参謀局刊行)が挙げられる。享年36。墓所は新宿区東大久保(現・新宿)の永福寺。

参考文献

 




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「青野桑州」の関連用語

青野桑州のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



青野桑州のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの青野桑州 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS