与島石
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 17:42 UTC 版)
周辺の島々と同様に、与島でもかつて採石業が盛んだった。豊臣秀吉の検地に際して、与島は5ヶ所ある「御用石帳場」の1つになっている。江戸時代から明治時代には石の切り出しがさらに盛んになり、与島と隣接する小与島では「与島石」と呼ばれる良質な花崗岩を産出し昭和の最盛期には30社もの業者が操業していた。石材を搬出する海運業も栄え、50隻の運搬船が使用された。 瀬戸大橋の建設に伴って橋脚やパーキングエリアや観光施設に土地を譲渡する形で多くの業者が廃業した。採石は露天掘りで実施されており、操業停止後は雨水が溜まり池となっている場所も、航空写真で散見できる。 近年は安価な外国産石材におされて採石事業は低調であり、外国産石材の加工業が営まれている。
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