不行跡、八段昇段
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/13 01:33 UTC 版)
「御仕置例類集」で天保元年(1830年)に「碁之者林元美」の事件が記されている。元美に頼まれて借金の返済期限を延ばす交渉に行った者が口論の末に抜刀し、取り押さえられて刀も曲げられてしまった。これを訴え出られ、元美らは刀の代金200両を要求したが、抜刀した者は刀取り上げの上に江戸払い、元美も百日の押込とされた。 嘉永2年(1849年)に引退して、実子の柏栄に家督を譲る。嘉永5年(1852年)になって八段を許された。この年の御城碁に最後の出仕、既に八段の本因坊秀和に白番で7目負けとした。御城碁には生涯で12局出仕して2勝10敗。文久元年(1861年)85歳で没。法名宣譽居士、浅草誓願寺快楽院に葬られた。
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