下巻に出てくる主な人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 01:57 UTC 版)
16代仁徳天皇 大雀命(おほさざきのみこと)、難波の高津宮(大阪市)に坐(いま)して、天の下治(し)らしめしき。天皇の御年は八十三歳(やそぢまりみとせ)。丁卯の年の八月十五日に崩りましき。御陵は毛受(もず)の耳原(みみはら)にあり(大阪府堺市)。 17代履中天皇 伊邪本和氣命(いざほわけのみこと)、伊波禮(いはれ)の若櫻宮(奈良県桜井市)に坐して、天の下治らしめしき。天皇の御年は六十四歳(むそじまりよとせ)。壬申の年の正月三日に崩りましき。御陵は毛受にあり(大阪府堺市)。 18代反正天皇 水歯別命(みづはわけのみこと)、多治比(たじひ)の柴垣宮に坐して、天の下治らしめしき(大阪府南河内郡)。天皇の御年は六十歳(むそとせ)。丁丑の年の七月崩りましき。御陵は毛受野(もずの)にあり。 19代允恭天皇 男淺津間若子宿禰命(をあさづまわくごのすくねのみこと)、遠飛鳥宮(とほつあすかのみや)(奈良県明日香村)に坐して、天の下治らしめしき。天皇の御年は七十八歳(ななそぢまりやとせ)。甲午の年の正月十五日に崩りましき。御陵は河内の恵賀の長枝(ながえ)にあり(大阪府南河内郡)。 20代安康天皇 穴穂御子(あなほのみこ)、石上(いそのかみ)の穴穂宮(あなほのみや)(奈良県天理市)に坐して、天の下治らしめしき。天皇の御年は五十六歳(いそぢまりむとせ)。御陵は菅原の伏見の岡にあり(奈良市)。 21代雄略天皇 大長谷若建命(おほはつせわかたけのみこと)、長谷(はつせ)の朝倉宮(奈良県桜井市)に坐して、天の下治らしめしき。天皇の御年は一百二十四歳(ももあまりはたちまりよとせ)。己巳の年の八月九日に崩りましき。御陵は河内の多治比の高鸇(たかわし)にあり(大阪府南河内郡)。 22代清寧天皇 白髪大倭根子命(しらかのおほやまとねこのみこと)、伊波禮(いはれ)の甕栗宮(みかくりのみや)(奈良県橿原市)に坐して、天の下治らしめしき。 23代顕宗天皇 袁祁之石巣別命(をけのいはすわけのみこと)、近飛鳥宮(ちかつあすかのみや)(大阪府南河内郡)に坐して、天の下治らしめすこと八歳なりき。天皇の御年は三十八歳(みそぢまりやとせ)。御陵は片岡の石坏(いはつき)の岡の上にあり(奈良県香芝市)。 24代仁賢天皇 意祁命(おけのみこと)、石上の廣高宮(奈良県天理市か)に坐して、天の下治らしめしき。 25代武烈天皇 小長谷若雀命(おはつせのわかさざきのみこと)、長谷の列木宮(なみきのみや)(奈良県桜井市)に坐して、天の下治らしめすこと八歳なりき。御陵は片岡の石坏の岡にあり。 26代継体天皇 袁本柕命(をほどのみこと)、伊波禮の玉穂宮(たまほのみや)(奈良県桜井市)に坐して、天の下治らしめしき。天皇の御年は四十三歳(よそじまりみとせ)。丁未の年の四月九日に崩りましき。御陵は三島の藍の御陵なり(大阪府三島郡)。磐井の乱(「石井」と表記)について簡潔に触れている。 27代安閑天皇 広国押建金日命(ひろくにおしたけかなひのみこと)、勾(まがり)の金箸宮(かなはしのみや)(奈良県橿原市)に坐して、天の下治らしめしき。乙卯の年の三月十三日に崩りましき。御陵は河内の古市(ふるち)の高屋村にあり(大阪府南河内郡)。 28代宣化天皇 建小広国押楯命(たけおひろくにおしたてのみこと)、檜垌(ひのくま)の廬入野宮(いほりののみや)(奈良県明日香村)に坐して、天の下治らしめしき(奈良県明日香村)。 29代欽明天皇 天国押波流岐広庭天皇(あめくにおしはるきひろにわのすめらみこと)、師木島(しきしま)の大宮(奈良県桜井市)に坐して、天の下治らしめしき。 30代敏達天皇 沼名倉太玉敷命(ぬなくらふとたましきのみこと)、他田宮(をさだのみや)(奈良県桜井市)に坐して、天の下治らしめすこと、十四歳なりき。甲辰の年の四月六日に崩りましき。御陵は川内の科長(しなが)にあり(大阪府南河内郡)。 31代用明天皇 橘豊日命(たちばなのとよひのみこと)、池邊宮(奈良県桜井市)に坐して、天の下治らしめすこと、三歳なりき。丁未の年の四月十五日に崩りましき。御陵は石寸(いはれ)の掖上(いけのうえ)にありしを、後に科長の中の陵に遷しき(大阪府南河内郡)。 32代崇峻天皇 長谷部若雀命(はつせべのわかささぎのみこと)、倉橋の柴垣宮(しばかきのみや)(奈良県桜井市)に坐して、天の下治らしめすこと、四歳なりき。壬子の年の十一月十三日に崩りましき。御陵は倉椅の岡の上にあり(奈良県桜井市)。 33代推古天皇 豊御食炊屋比売命(とよみけかしきやひめのみこと)、小治田宮(をわりたのみや)(奈良県明日香村)に坐して、天の下治らしめすこと、三十七歳なりき。戊子の年の三月十五日に崩りましき。御陵は大野の岡の上にありしを、後に科長の大き陵に遷しき(大阪府南河内郡)。
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