上谷口村の成立と近世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 05:55 UTC 版)
上谷口という地名は江戸時代より見え、薩摩国日置郡伊集院郷(外城)のうちであった。天明年間の「伊集院由緒記」には「上谷口村、下谷口村、右二ヵ村前代谷口村と申す一ヵ村にて、上下に相分り候由。何年間に相分り為申訳、相知不申候。」と記されている。「元禄郷帳」、「天保郷帳」ではともに「谷口村」であり、「薩藩政要録」によれば領内においては上谷口村・下谷口村として扱われており、「旧高旧領取調帳」によれば谷口村が上谷口村と下谷口村(現在の日置市伊集院町下谷口)に分村していることがわかる。 上谷口村の村高は「伊集院郷土史」によれば866石余、「由緒再撰調」では866石余、「旧高旧領取調帳」では907石余であった。 村内は折尾、田原春、柿元、松元、入田本坊、前田、内田などの字に分かれていた。鎮守には柿本人麻呂を祀っていた柿本神社があったが、1914年(大正3年)に入佐(現在の入佐町)の大鳥神社に合祀された。 1884年(明治17年)には伊集院郷のうち上谷口村、福山村、直木村、入佐村、春山村、石谷村の各村に置かれていた戸長役場が廃止され、上谷口村に6村を管轄する戸長役場が設置された。
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