上御霊前通
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/24 23:47 UTC 版)
上御霊前通[1](かみごりょうまえどおり)は京都市内の東西の通りの一つ。東は賀茂川西岸(右岸)堤防上の加茂街道から、西は智恵光院通まで。全長は約1.9km[2]。 通りの名称は応仁の乱勃発の地である御霊神社(上御霊神社)の門前を通ることからつけられた[3]。
- ^ 京都市内の通りの名称は「通」となっていて「り」を送らない。例外として道路標識では「通り」として送る表記を採用しているが、印刷資料で送るものは極めて珍しい。京都市内の通り#表記の差異参照
- ^ 『続・京都の大路小路』 (1995), p. 226-227, 「上御霊前通」.
- ^ 宝暦12年(1762年)刊の『京町鑑』によれば、「上御霊前通」の項に「此通の東に上御霊の社ある故に通の名とす」とある。
- ^ 林倫子 (2009年). “禁裏御用水の構成と周辺園池との関係”. 2022年10月8日閲覧。
- ^ もとは現在の堀川通に位置しており、戦後の堀川通拡張により現在の位置に移転。
- ^ 「此通東は上御霊鳥居前より西は水火天神の辺まで」『京町鑑』「上御霊前通」の項(京町鑑 横《京都府立総合資料館所蔵・京都地誌閲覧システム》)
- ^ づしづくし 5 天神辻子 - 洛中洛外 虫の眼 探訪(2022年10月8日閲覧)URLはソース参照。
- ^ 寛永19年(1642年)の姿とされる、京都大学附属図書館蔵「寛永後萬治前洛中絵図」(京都大学貴重資料アーカイブ寛永後萬治前洛中絵図)でも同じ区間となっている。
- ^ 『京都市の地名』 (1979), p. 604, 「扇町」.
- ^ づしづくし 3 妙覚寺前辻子 - 洛中洛外 虫の眼 探訪(2022年10月8日閲覧)URLはソース参照。
- ^ づしづくし 22 御霊の辻子 - 洛中洛外 虫の眼 探訪(2022年10月8日閲覧)URLはソース参照。
- ^ 『京都坊目誌』(きょうとぼうもくし)は、大正4年(1915年)刊の京都市の地誌。碓井小三郎が明治29年(1896年)から大正4年(1915年)まで20年をかけて独力で編集。
- ^ 大宮通の西に並行する大宮通西裏のことか。
- ^ 明治22年(1889年)に紫竹大門村と西賀茂村が合併して成立。当該部分は大正7年(1918年)に京都市に編入され、残余部分の大宮村も昭和6年(1931年)に京都市に編入される。
- ^ 『京都大事典』 (1984), p. 196, 「上御霊前通」.
- 1 上御霊前通とは
- 2 上御霊前通の概要
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