三菱重工の北陸進出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 17:04 UTC 版)
太平洋戦争末期、日本列島の太平洋側ではアメリカ軍の攻撃により船舶の航行が困難となったことに加え、満州との連絡も重要となってきたことから、日本海軍は日本海側の港湾で船舶修理機能の整備を進め、太平洋側に位置する各造船所に対して日本海側への進出を要請していた。三菱重工業横浜造船所はこの要請に応じて1945年(昭和20年)、石川県七尾市で現地の工場を買収して七尾工作部を設置、敦賀(福井県)、伏木(富山県)にも工場を設けて七尾の分工場とした。敦賀では大友昆布工場の製箱工場や倉庫を転用して工場が設けられた。
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