三毒の誤解
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/16 05:10 UTC 版)
俗に、「妬む、怒る、愚痴る」を「仏教の三毒」として紹介することがあるが、そのような用例は仏典にはなく、誤りである。これらも仏教では煩悩として克服すべきものだと考えられているが、この三つは大局的には瞋に包摂される煩悩である。また、癡は日本語での「愚痴をこぼす」ということではなく、もっと根源的な人間の「愚かさ」を表す概念である。チベット密教では「嫉妬」(妬み)は「無明」と「悪見」の二つを併せたものとされる。
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