三好長慶と織田信長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/05 14:15 UTC 版)
南宗寺は、三好長慶が堺で死亡した父・三好元長の菩提寺として建立したものであり、宗訢は三好氏と縁が深い。永禄9年(1566年)に真観寺で三好長慶の法事が営まれたときは、三好義継に請われて導師をつとめた。また、長慶の菩提寺である聚光院を開山したのも宗訢である。 天正10年(1582年)、織田信長が本能寺の変で死亡し、家臣の柴田勝家と羽柴秀吉による葬儀が別々に行われた。このとき秀吉の主導した葬儀は大徳寺で行われ、宗訢が導師をつとめた。信長の菩提寺である総見院を開山した古渓宗陳は宗訢の法嗣にあたる。
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