三別抄討伐
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 03:27 UTC 版)
金方慶は、元宗の時代から将軍として仕えて活躍し、1271年からはモンゴルより、洪茶丘と共に三別抄(元の支配に抵抗する高麗の武装集団)の追討使を命じられ、珍島(全羅南道)、耽羅(済州島)を攻略し、軍功を挙げた。 渡海作戦を成功させた実績の持ち主として、モンゴル帝国大ハーンのクビライ(フビライ)に従属した金方慶は、1274年の日本侵攻(元寇、文永の役)において、高麗軍の司令官として、高麗軍8000人を率いて参陣する。
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