三代目の稼動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/06 00:40 UTC 版)
「TAC (コンピュータ)」の記事における「三代目の稼動」の解説
メンテナンスは最初の一年が村田と中澤、次に東京大学綜合試験所に、さらに1959年10月からは運用を森口繁一教授、ハードを三山醇助教授が担当。 512ワード全てを使うプログラムを動かす時は、電源の安定している夜でないと動かせず、24時に依頼者に来てもらって、1時から4時まで動かすことが多かったという。 1962年に稼動時間1万時間をこえると故障も多発してきたので、同年7月に稼動を終了した。同年解体され現存しないが、東芝資料館にはウィリアムス管など、TACの一部部品や写真が所蔵されている。 またメンテナンス移譲を機に、村田と中澤は日立に入社し、後にトランジスタ式コンピュータのHITAC 5020などを開発した。
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