三上皇の仏教保護政策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:39 UTC 版)
摂関期の天皇は二所宗廟とされた伊勢神宮と石清水八幡宮をはじめ、賀茂社や松尾社などの神社に奉幣したり行幸したりして権威を高めたが、院政期には白河、鳥羽、後白河の3上皇がみずから出家して法皇となり、仏教によって権威を高めた。白河天皇の建立した法勝寺をはじめとする六勝寺が鴨川の東、白河の地にあいついで造営された。また、洛南の鳥羽に多数建てられた阿弥陀堂はじめ数多くの堂塔や仏像がつくられて盛大な法会をひらき、しばしば紀伊へ熊野詣や高野詣を繰り返した。また、後白河法皇は平清盛とともに蓮華王院本堂をつくり、その宝蔵には古今東西の宝物をおさめた。
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