一行寺とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 文化 > 寺院名 > 一行寺の意味・解説 

一行寺

読み方:イチギョウジ(ichigyouji)

別名 身代観音

宗派 浄土宗

所在 群馬県藤岡市

本尊 阿弥陀如来


一行寺

読み方:イチギョウジ(ichigyouji)

宗派 浄土宗

所在 神奈川県川崎市川崎区

本尊 阿弥陀如来


一行寺

読み方:イチギョウジ(ichigyouji)

宗派 浄土宗

所在 静岡県熱海市

本尊 阿弥陀三尊


一行寺

読み方:イチギョウジ(ichigyouji)

宗派 浄土宗

所在 鳥取県鳥取市

本尊 阿弥陀如来

寺院名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

一行寺 (川崎市)

(一行寺 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/25 04:19 UTC 版)

一行寺
所在地 神奈川県川崎市川崎区本町1-1-5
位置 北緯35度32分01秒 東経139度42分08秒 / 北緯35.53361度 東経139.70222度 / 35.53361; 139.70222座標: 北緯35度32分01秒 東経139度42分08秒 / 北緯35.53361度 東経139.70222度 / 35.53361; 139.70222
山号 専修山
院号 念仏院
宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀如来
創建年 寛永6年(1631年
開山 顕誉円超
別称 閻魔寺
法人番号 6020005007207
一行寺
一行寺 (神奈川県)
テンプレートを表示

一行寺(いちぎょうじ)は、神奈川県川崎市川崎区にある浄土宗寺院

歴史

1631年寛永6年)、顕誉円超によって開山された。当時は川崎宿の災害時の避難所にもなったという[1]

戦前までは「閻魔寺」として知られ、年2回の「薮入り」の日には縁日が立ち、閻魔座像と地獄極楽図が開帳されていた。しかし第二次世界大戦の戦災で長らく中絶していた。1983年昭和58年)に本堂等の再建とともに、閻魔像も再造され復活した[2]

墓地には、能書家で川崎宿最初の寺子屋を開いた浅井忠良や富士講の一派「タテカワ講」を開いた満翁徳行(初代西川伊右衛門)の墓がある。

交通アクセス

脚注

  1. ^ 神奈川県高等学校教科研究会社会科部会歴史分科会 編『神奈川県の歴史散歩 上(歴史散歩14) 川崎・横浜・北相模・三浦半島』山川出版社、2005年、13p
  2. ^ 一行寺・閻魔・地獄極楽絵川崎市川崎区「かわさき区の宝物」

参考文献

  • 神奈川県高等学校教科研究会社会科部会歴史分科会 編『神奈川県の歴史散歩 上(歴史散歩14) 川崎・横浜・北相模・三浦半島』山川出版社、2005年


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「一行寺」の関連用語

一行寺のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



一行寺のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの一行寺 (川崎市) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS