一時閉鎖事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 05:25 UTC 版)
木下総長は以前から旧寄宿舎の腐敗を憂慮し、色々と矯正の道を講じていたらしいが、直接的な介入は避けていた。しかし木下は、この総会で舎生が自治を実質的に拒否する姿勢を明らかにしたのを目の当たりにし、旧寄宿舎に自浄能力なしと判断したとみられる。同年12月15日、木下は旧寄宿舎の一時閉鎖を宣言し、12月29日までに退去するよう全舎生に命令した。一部の舎生はこれに反発し、閉鎖の不合理を訴えたり、木下と学生監を攻撃する演説をしたりした。そしてついには木下と石川一学生監(現在の学生担当副学長に当たる)の辞職勧告書を作成し、舎生数十名が連名し、木下らに手渡しに行った。舎生たちはこの期に及んでも組織だっておらず、まるで烏合の衆であり、強固な団結も覚悟もなく、一部の強硬な反対派に付和雷同していただけだった。
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