一丸デパート
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/06 04:04 UTC 版)
一丸デパート(いちまるデパート)は、かつて大分県大分市の竹町商店街[注釈 1]に存在した百貨店である。
沿革
開店
江戸時代初期の1652年に創業した老舗の呉服店であったが、明治時代に入ると洋品店に転業。さらに昭和時代に入ると、4代目一丸伍兵衛が資本金35万円で株式会社一丸を設立し、1934年(昭和9年)10月に東九州[注釈 2]初の百貨店となる一丸デパートを開店した[1][2][3]。
開店当初の一丸デパートは木骨二重防火コンクリート構造4階建で、エレベータが1基設置されていた[4]。各階の売り場は以下の通りであった[1]。
- 屋上 - 子供用娯楽施設
- 4階 - 食堂・催事場
- 3階 - 洋服・玩具・家具・履物
- 2階 - 婦人服・子供服・呉服
- 1階 - 食料品・文房具・化粧品
一丸デパートは翌1935年(昭和10年)10月に開店したトキハと激しい競争を繰り広げ、1937年(昭和12年)には両店がともに増築。一丸デパートはは約2倍の規模になった[1][4]。
廃業
太平洋戦争が始まると、経済統制の元で一丸デパートとトキハは合併を指示されたが、一丸デパートはこれを拒否して1943年(昭和18年)9月に廃業。建物は海軍航空廠に提供され、1945年(昭和20年)7月の大分空襲で全焼した[1]。
その後
戦後、服飾販売店「いちまる」として竹町商店街にて営業を再開した。2025年(令和7年)時点では、「いちまるプラス」及び「モードスクエアいちまる」の2店舗を運営していたが[5]、2025年(令和7年)9月1日に事業を停止し、自己破産申請の準備に入ったことが明らかになった[3][6]。
年表
- 1692年(元禄5年) - 一丸呉服店として創業。
- 1873年(明治5年) - 洋品・雑貨店へと転換。
- 1934年(昭和9年)10月 - 大分市竹町に一丸デパート開店。
- 1937年(昭和12年) - 増築。
- 1943年(昭和18年)3月 - 大分市の百貨店トキハとの合併を発表。新店名は「ヤマトデパート」。
- 1943年(昭和18年)9月 - 一丸の意向で合併が白紙となり、一丸デパート廃業。商品と従業員は全てトキハへ、建物は海軍航空廠へと移る。
- 1945年(昭和20年)7月 - 大分空襲により一丸デパート旧本館焼失[1]。
- 1946年(昭和21年) - 服飾販売店「いちまる」として竹町商店街にて営業再開。
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e 「デパート 商店街とデパートの競争」『大分歴史事典』大分放送。オリジナルの2002年2月19日時点におけるアーカイブ 。2014年4月4日閲覧。
- ^ 「いちまるプラス 自己破産申請へ 大分の婦人服販売 /大分」『毎日新聞』2025年9月5日。オリジナルの2025年9月6日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b 「大分市の老舗婦人服店「いちまるプラス」破産申請へ 江戸時代初期に呉服店で創業」『OBS NEWS』大分放送、2025年9月4日。オリジナルの2025年9月6日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b 「市報おおいた」(PDF)平成23年7月1日号、大分市、2011年7月1日、 オリジナルの2025年9月6日時点におけるアーカイブ。
- ^ “いちまる”. アイぶんぶんひろば. 大分商工会議所・大分合同新聞社. 2015年8月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年9月6日閲覧。
- ^ 「いちまるプラス(有)/自己破産へ <大分> 一丸百貨店の系統 倒産要約版」『JC-NET』2025年9月4日。オリジナルの2025年9月6日時点におけるアーカイブ。
固有名詞の分類
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