ヴィジャヤ王朝の繁栄とムスリム商人の活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 06:51 UTC 版)
「チャンパ王国」の記事における「ヴィジャヤ王朝の繁栄とムスリム商人の活動」の解説
中国は唐代まで北ベトナムを領有しており、南ベトナムのチャンパ王国は南朝・隋に朝貢する一方、しばしば国境紛争を惹起した。10世紀にゴー・クエン(呉権)が北ベトナム、紅河流域のベト族(キン族)および丘陵部のムオン族・タイ族と連合して南漢軍を撃退し、交阯国(のちのYavana, 大越国)として中国から独立し、その死後に後継者争いが起きると、チャンパ王国はゴー・ニャット・カイン(呉日慶)王子を支援してこれに介入し、失敗した。『宋史』に現れるチャンパ王インドラヴァルマン呉日歓は呉日慶の子または婿養子としてチャンパ王位を継承した呉日慶自身と考えられる。『宋史』によれば、このころ、チャンパから海南島に、数次にわたるムスリムの避難が行われた。このムスリムはチャンパ人ではなく、チャンパで交易に従事するムスリムであり、大越とチャンパの戦闘にまきこまれるのを恐れて避難したと考えられる。しかし、チャンパにおけるムスリム商人の活動はその後も続き、『宋史』に現れるチャンパ外交官はムスリム風の名を持つ者が複数ある。
※この「ヴィジャヤ王朝の繁栄とムスリム商人の活動」の解説は、「チャンパ王国」の解説の一部です。
「ヴィジャヤ王朝の繁栄とムスリム商人の活動」を含む「チャンパ王国」の記事については、「チャンパ王国」の概要を参照ください。
- ヴィジャヤ王朝の繁栄とムスリム商人の活動のページへのリンク