ヴィシュヴァース・ラーオ
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ヴィシュヴァース・ラーオ(英語:Vishvas Rao, 1741年3月7日 - 1761年1月14日)は、インドのデカン地方、マラーター王国の宰相バーラージー・バージー・ラーオの息子。同国宰相マーダヴ・ラーオ及びナーラーヤン・ラーオの兄でもある。
生涯
1741年3月7日、マラーター王国宰相バーラージー・バージー・ラーオとその妃ゴーピーカ・バーイーの息子として生まれる[1]。
バーラージー・バージー・ラーオの後継であり、1760年にはアフガン軍に対する討伐軍の総大将として北インドへと向かった。
1761年1月14日、第三次パーニパットの戦いでほかの武将とともに戦死した[2]。
出典・脚注
関連項目
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