イブラーヒーム・ハーン・ガールディーとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > イブラーヒーム・ハーン・ガールディーの意味・解説 

イブラーヒーム・ハーン・ガールディー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/18 09:07 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
イブラーヒーム・ハーン・ガールディー(左)とバーラージー・バージー・ラーオ(中央)

イブラーヒーム・ハーン・ガールディーマラーティー語:इब्राहीम खान गारदी, Ibrāhīm Khān Gāradī, 生年不明 - 1761年1月14日以降)は、インドデカン地方マラーター王国ムスリム武将。

生涯

イブラーヒーム・ハーンは当初、ニザーム王国に仕えていた。のち、マラーター王国の宰相府に仕えるようになった。

1761年1月14日、イブラーヒーム・ハーンは1万の軍勢を率いて、第三次パーニーパットの戦いアフガン勢力ドゥッラーニー朝と戦った。彼は騎兵、歩兵、弓兵、砲兵を指揮していたが、さらにマスケット銃の部隊も存在していた。

だが、この戦いはサダーシヴ・ラーオ・バーウヴィシュヴァース・ラーオが死亡するなどマラーターの大敗に終わり、イブラーヒーム・ハーンは敗走中にとらえられた。その後、アフガン軍のナジーブ・ハーンによって、ムスリムであるにもかかわらずヒンドゥーに仕えたとして拷問され、殺害されたと伝えられている。

なお、イブラーヒーム・ハーンの一族はその死後も王国に仕え、1818年に宰相が廃されるまで仕えている。

脚注

参考文献

  • Barua, Pradeep (1994年). “Military Developments in India, 1750-1850”. The Journal of Military History 58 (4): 599–616. JSTOR 2944270. 
  • Shejwalkar, Tryambak Shankar (1946). Panipat: 1761. Deccan College Monograph Series (1st ed.). Poona (Pune): S.M. Katre for Deccan College Postgraduate and Research Institute. OCLC 219459942. 
  • Verma, Abhas (2013). Third Battle of Panipat. Delhi: Bharatiya Kala Prakashan. ISBN 9788180903328. 

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「イブラーヒーム・ハーン・ガールディー」の関連用語

イブラーヒーム・ハーン・ガールディーのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



イブラーヒーム・ハーン・ガールディーのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのイブラーヒーム・ハーン・ガールディー (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS