ローデシアと南アフリカ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 04:39 UTC 版)
「アンゴラ独立戦争」の記事における「ローデシアと南アフリカ」の解説
アメリカとは別の2ヶ国もこの戦争に参加した。ローデシア(現在のジンバブエ)と南アフリカであり、両国共に少数の白人が支配していた。両国の政府は、ポルトガルが負けた場合に同じ事が自国に起きるのではと恐れていた。最初は両国共武器の供給を制限していた。しかし、1968年までに南アフリカはSA316ヘリコプターを乗員付きでポルトガル空軍(FAP)に供給し始め、最終的には南アフリカ防衛軍(SADF)の歩兵が数部隊アンゴラ南部・中央部に展開された。しかし、当時の報告では彼らがカッシンガの鉄鉱山を守っていた証拠は無かった。最終的に、ローデシア人操縦士が何人もポルトガル空軍で飛ぶように勧誘されたと報告されている。しかし、1969年に最初のポルトガル部隊はSA330ヘリコプターを使っていたが、その乗員は殆ど南アフリカ人だった。ローデシア人操縦士はポルトガル人の補助をするには価値が高過ぎるとローデシア空軍は考えられていた。1968年の間は、南アフリカ軍は統合航空補助中心(CCAA)の管轄外で操縦士やヘリコプターを運用し、クイト・クアナヴァレを獲得している。
※この「ローデシアと南アフリカ」の解説は、「アンゴラ独立戦争」の解説の一部です。
「ローデシアと南アフリカ」を含む「アンゴラ独立戦争」の記事については、「アンゴラ独立戦争」の概要を参照ください。
- ローデシアと南アフリカのページへのリンク