ロベスピエールの孤立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 08:10 UTC 版)
「フランス革命」の記事における「ロベスピエールの孤立」の解説
1794年になるとフランスは危機を脱し、安心感が出てきた。こうした中でロベスピエールは、反革命容疑者の財産を没収して土地のない貧民に与えるための「ヴァントゥーズ法」を提案した。ロベスピエールは反革命容疑者を裁くための人民委員会の設立を提案し、可決させ、反革命容疑者の逮捕に乗り出した。最後に汚職議員、腐敗議員の逮捕・裁判の権限を行使することを認めよと国民公会に提案したが、国民公会の平原派議員と山岳派議員の大多数から反対された。当時の議員の大多数は何らかのやましいところがあったからであった。また、ロベスピエールは独裁者であるという批判が、国民公会や保安委員会の多数派から投げつけられ、ロベスピエールは最後の1ヶ月は公安委員会に出席しなくなった。ジャコバンクラブでロベスピエールは無力になったと打ち明けた。
※この「ロベスピエールの孤立」の解説は、「フランス革命」の解説の一部です。
「ロベスピエールの孤立」を含む「フランス革命」の記事については、「フランス革命」の概要を参照ください。
- ロベスピエールの孤立のページへのリンク