ロシアの大撤退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 00:02 UTC 版)
「東部戦線 (第一次世界大戦)」の記事における「ロシアの大撤退」の解説
詳細は「大撤退」を参照 ナレウ正面ドイツ軍約14個師団は7月13日よりロシア軍を攻撃してプルツスク(英語版)・ロザン(英語版)二橋頭陣地を奪取。南方のマッケンゼン軍と共にワルシャワの背後に迫り、ポーランド方面のドイツ軍もまた正面から前進した。このため8月1日ロシア軍は全線をカウナス(ポーランド語: Kowno コヴノ)・フロドナ・ブレスト=リトフスクの要塞線に後退させた。ワルシャワ、イヴァンゴロドの二要塞は5日ドイツ軍によって占領された。これらの大撤退によって1915年の作戦は一段落を告げることとなった。
※この「ロシアの大撤退」の解説は、「東部戦線 (第一次世界大戦)」の解説の一部です。
「ロシアの大撤退」を含む「東部戦線 (第一次世界大戦)」の記事については、「東部戦線 (第一次世界大戦)」の概要を参照ください。
- ロシアの大撤退のページへのリンク