レフ・クレショフとは? わかりやすく解説

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レフ・クレショフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/08 20:51 UTC 版)

Lev Kuleshov
レフ・クレショフ
本名 リェフ・ウラジミロヴィチ・クリェショフ
Лев Владимирович Кулешов
生年月日 (1899-01-13) 1899年1月13日
没年月日 (1970-03-29) 1970年3月29日(71歳没)
出生地 ロシア帝国(現 ロシア
タンボフ
死没地 ソビエト連邦 ロシア・ソビエト社会主義連邦共和国(現 ロシア
モスクワ
国籍 ソビエト連邦
職業 映画監督脚本家美術デザイナー編集技師俳優映画理論家
ジャンル サイレント映画トーキー
活動期間 1917年 - 1970年
活動内容 1917年 美術監督
1918年 監督デビュー
1943年 映画製作から退く
配偶者 アレクサンドラ・ホフロワ
主な作品
ボリシェヴィキの国におけるウェスト氏の異常な冒険
 
受賞
1964年 博物学博士号
1969年 ソ連人民芸術家
赤旗労働英雄勲章受章
レーニン勲章受章
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レフ・ウラジミロヴィチ・クレショフロシア語: Лев Владимирович Кулешов, 1899年1月13日 - 1970年3月29日)は、ソビエト連邦映画監督脚本家美術デザイナー編集技師俳優映画理論家である。クレショフ効果で知られる。

人物・来歴

スタラヤ・ラドガ 創造の家(Staraya Ladoga House of Creativity)付近でのレフ・クレショフ(左)とアルカージイ・ペトロービッチ・ガイダール(Arkady Gaidar)。1941年5月

1899年1月13日ロシア帝国(現在のロシア)のタンボフに生まれる。

1917年、18歳のころ、エフゲーニー・バウエルを師とし、美術監督として映画に関わる。翌1918年、初めて映画監督として映画を演出する。1924年に監督した『ボリシェヴィキの国におけるウェスト氏の異常な冒険』は、世界中で公開された。

1943年ソ連軍のための映画を監督したのを最後に、映画製作から退く。

1964年、博物学博士号を授与される。1966年ヴェネツィア国際映画祭で審査員を務めた。1969年ソ連人民芸術家の称号を受ける。ほかにもレーニン勲章、赤旗労働英雄勲章受章を受章している。

1970年3月29日モスクワで死去した。満71歳没。

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