レギオンの門
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 14:37 UTC 版)
「コンスタンティノープルの城壁」の記事における「レギオンの門」の解説
現在第50塔と第51塔の間にあるイェニ・メヴレヴィハネ・カプス(トルコ語: Yeni Mevlevihane Kapısı) と呼ばれている門は、一般に近世の文献に登場するレギオンの門(Πόρτα Ῥηγίου、現在のキュチュクチェクメジェにあたるレギオン地区に由来)もしくはロウシオスの門 (Πόρτα τοῦ Ῥουσίου、門の修繕に参加した戦車競技の応援団「赤党」(ロウシオイ ῥούσιοι)に由来)のどちらかに比定される。しかしビザンツ時代の文献では、この門はレシオスの門 (Πόρτα Ῥησίου) と呼ばれていた。10世紀に編纂されたスーダ辞典によれば、レシオスとは古代ギリシア都市ビュザンティオン時代の将軍の名であるという。またA・M・シュナイダーは、墓地に近いという関連性からミュリアンドリオンの門やポリュアンドロン(「多くの者たちの場」の意)の門に比定する説を提示している。いずれにせよイェニ・メヴレヴィハネ・カプスは、5世紀に建設されて以降大きく変わっていない門の中では最も保存状態の良いものである。
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