レウクトラの戦いとテーバイの覇権
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/18 16:13 UTC 版)
「テーバイ」の記事における「レウクトラの戦いとテーバイの覇権」の解説
紀元前379年、ペロピダスやエパメイノンダスが率いるテーバイ市民の決起が成功してスパルタ軍を追放し、テーバイはスパルタの支配から脱した。伝統的な寡頭政治の代わりに民主主義が導入された。 スパルタとの戦いにおいて、ペロピダスやエパメイノンダスが率いるテーバイ軍は優れた戦果を挙げた。紀元前371年のレウクトラの戦いで、エパメイノンダス率いる劣勢のテーバイ軍がスパルタ軍を撃破したことで、テーバイの軍事的な栄光は頂点に達し、テーバイがスパルタに代わってギリシャの覇権を握ることとなった。エパメイノンダス率いるテーバイ軍はペロポネソスに侵攻し、スパルタ経済の基盤である奴隷を解放した。同様の遠征はテッサリアやマケドニアに対しても行われた。 しかし、テーバイの覇権は長く続かなかった。紀元前364年にはキュノスケファライの戦いでペロピダスが戦死。紀元前362年のマンティネイアの戦いでエパメイノンダスをはじめ多くの将軍を失った。エパメイノンダスに代わる有能な指導者を持たなかったテーバイは覇権を失い、復活したアテナイの後塵を拝することになる。 第三次神聖戦争(英語版)(紀元前356年–紀元前346年)で、テーバイはアテナイ、スパルタなどと同盟したフォキスと戦ったが、中部ギリシャにおいて優勢を維持することはできなかった。テーバイはマケドニア王ピリッポス2世の助力を得ることでようやく勝利を手にしたが、この戦争はピリッポスのギリシアでの勢力拡大へと繋がった。
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