ルー・ゲーリッグの引退
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「1939年のメジャーリーグベースボール」の記事における「ルー・ゲーリッグの引退」の解説
1925年6月1日に代打出場し翌2日に一塁手としてレギュラー入りしてから、足かけ14年間1試合も休まず、その間に首位打者1回、本塁打王3回、打点王5回に輝き1934年に三冠王となったルー・ゲーリッグは1939年5月2日にジョー・マッカーシー監督に自ら出場辞退を告げて、連続試合出場は2130試合で終止符を打った。前年のシーズン半ばから自身の体調に異変が生じていた。シーズンオフに医師と相談したが原因がわからず、この年のキャンプに参加した時にジョー・ディマジオはその動きの緩慢さに驚いた。出場を辞退した後に、専門医に診てもらったところ筋萎縮性側索硬化症であることが分かった。6月21日にヤンキースはゲーリッグの引退を発表した。そして7月4日にゲーリッグ感謝デーを開催し、ベーブ・ルースもニューヨーク市長も参加したこの引退式の場でルー・ゲーリッグは「自分は世界で一番幸せな男です」と述べてヤンキー・スタジアムを去った。
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