ルネ・ヴィエットとは? わかりやすく解説

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ルネ・ヴィエット

(ルネ・ヴィエト から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/21 02:08 UTC 版)

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ルネ・ヴィエット
René Vietto
個人情報
本名 René Vietto
生年月日 (1914-02-17) 1914年2月17日
没年月日 1988年10月14日(1988-10-14)(74歳)
国籍 フランス
チーム情報
分野 ロードレース
特徴 クライマー
グランツール最高成績
主要レース勝利

ツール・ド・フランス

山岳賞 1934
区間通算6勝
パリ〜ニース 1935
フランス選手権 プロロード 1941
最終更新日
2013年1月13日

ルネ・ヴィエット(René Vietto、1914年2月17日 - 1988年10月14日)は、フランスアルプ=マリティーム県ル・カネ出身の元自転車競技ロードレース)選手。

来歴

1932年

  • グランプリ・ド・カンヌ 優勝

1933年

  • グランプリ・ド・カンヌ 優勝

1934年

  • ツール・ド・フランスに初出場。第16ステージにおいて、総合首位を行くアントナン・マーニュピレネー山脈のロスピタレ峠で転倒し、ホイールを大破させてしまった。すると、ヴィエットはためらいなくマーニュの自転車に、自らが持参していたホイールを装着。続く第17ステージでは、ポルト峠でマーニュはパンクに見舞われたが、ヴィエットはここでもマーニュにホイールを提供した。そしてマーニュはその後も首位を守って総合優勝。一方、ヴィエットは第7、9、11、18ステージを制し、山岳賞を獲得。総合でも5位に入った[1]。なお、上記の話は、ツール・ド・フランス史上に残る美談として語り継がれている。
  • GP・ウォルベール 優勝

1935年

1939年

1941年

1942年

  • ブエルタ・ア・エスパーニャ 区間2勝(第8、第14b)

1943年

  • クリテリウム・デュ・ミディ 総合優勝

1946年

  • グランプリ・ド・ラ・レピュブリク・デュ・スュドゥエス 総合優勝

1947年

  • 第二次世界大戦後最初のツール・ド・フランスにおいて、第2ステージから第6ステージ、第9ステージから第18ステージまで合計15ステージで総合首位。最終順位は総合5位で、区間2勝(第2、9)した。なお、ツール・ド・フランス総合優勝未経験者におけるマイヨ・ジョーヌ通算着用日数26日間は、2012年ファビアン・カンチェラーラが28日間として更新するまでの間、同大会の記録となっていた。

1948年

  • グランプリ・ド・カンヌ 優勝

参考文献

脚注




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