リュカイオン山の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/18 16:25 UTC 版)
「クレオメネス戦争」の記事における「リュカイオン山の戦い」の解説
紀元前227年5月、アラトスはストラテゴスに選出されるとエリスを攻撃した。クレオメネスはエリスの援助の要請に応じて出撃した。彼はリュカイオン山近くで作戦を終えて引き上げているアカイア軍に奇襲を仕掛け、多数を殺傷した。この戦いでアラトスも戦死したという誤報が流れたが、アラトスはそれを逆手に取り、残余の兵と共にマンティネイアへ行き、敵襲を全く予想していなかったマンティネアを易々と占領した。 マンティネア陥落で気落ちしたスパルタ人を元気付けるためにクレオメネスは紀元前228年にエウダミダス3世が死んでいた(ただしパウサニアスはクレオメネスによる毒殺を主張)のでエウリュポン家のアルキダモス5世(兄アギス4世の処刑時にメッセニアへ亡命)を呼び戻して共同統治者として王位につけた。ところが、プルタルコスによるとアギスを殺した者たちは報復を恐れてアルキダモスを暗殺した。それに対し、ポリュビオスはクレオメネスによって殺されたとしている。
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