リトル・ウィングとは? わかりやすく解説

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リトル・ウィング

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/22 09:46 UTC 版)

リトル・ウィング
ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス楽曲
収録アルバム アクシス:ボールド・アズ・ラヴ
リリース 1967年12月1日
1968年1月15日
録音 ロンドンオリンピック・スタジオ(1967年10月25日、28日)
ジャンル ロック
時間 2分26秒
レーベル トラック・レコード
リプリーズ・レコード
作詞者 ジミ・ヘンドリックス
作曲者 ジミ・ヘンドリックス
プロデュース チャス・チャンドラー
アクシス:ボールド・アズ・ラヴ 収録曲
Side 1
  1. 「放送局EXP」
  2. 空より高く
  3. 「スパニッシュ・キャッスル・マジック」
  4. 「明日まで待って」
  5. 「エイント・ノー・テリング」
  6. リトル・ウィング
  7. 「もしも もしも」
Side 2
  1. 「フローティング」
  2. 「砂のお城」
  3. 「シーズ・ソー・ファイン」
  4. 「雨を望めば」
  5. 「可愛い恋人」
  6. 「ボールド・アズ・ラヴ」
ミュージックビデオ
「Little Wing」 - YouTube

リトル・ウィング」(Little Wing)は、ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス(以下エクスペリエンス)が1967年に発表した楽曲[1]リトル・ウイングとも表記される。

スローテンポで、スタジオエフェクトを通したヘンドリックスの歌声、ギターに、ベース、ドラム、グロッケンシュピールによる伴奏を特色とするR&Bに触発されたバラードである。歌詞的には、彼の曲でよく見られるように理想的な女性や守護天使のような存在を歌っている。ヘンドリックスの最も簡潔でメロディアスなフレーズが約2分30秒にこめられている。

「リトル・ウィング」の起源は、1966年の "(My Girl) She's a Fox"(カーティス・メイフィールドに影響を受けたヘンドリックスの伴奏を特色としたR&Bの曲)の録音までさかのぼる。彼はプロデューサーの チャス・チャンドラーと関わるより前に、この曲をニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジでの演奏の際に発展させた。1967年6月のモントレー・ポップ・フェスティバルに触発されたのち、ヘンドリックスは10月25日、28日に「リトル・ウィング」を録音した。

本作品を収録したセカンド・アルバム『アクシス:ボールド・アズ・ラヴ』(以下『アクシス』)は、英国で1967年12月1日に、アメリカでは翌1968年1月15日に発売された。エクスペリエンスの公演の曲目に必ず入る『アクシス』中のたった2曲のうちの1曲で、頻繁にこの曲をライブで演奏し、その録音がヘンドリックスの死後早くにアルバム『ヘンドリックス・イン・ザ・ウエスト』(1972年)『ジミ・ヘンドリックス・コンサート』(1982年)に収められた。さらに最近、デモ音源やライブ公演の音源も発売された。「リトル・ウィング」はヘンドリックスのもっとも人気のある曲のひとつで、様々な様式のミュージシャンによって解釈、演奏されている。『ローリング・ストーン』誌が選ぶ最も偉大な500曲において、188位にランクイン[2]

背景

ジミ・ヘンドリックスの経歴はR&Bのギタリストに始まり、アイズレー・ブラザーズドン・コヴェイリトル・リチャードなどの楽曲でレコーディング、カーティス・メイフィールドを含む他のR&Bギタリストなどから学んだ(カーティス・メイフィールドは渋いリズムのフィルやコードアレンジで知られていた)。[3][注釈 1] 。ヘンドリックスは、メイフィールドのサポートメンバーとして1963年、ツアーに参加した。彼はこの経験を「カーティス・メイフィールドインプレッションズとの最高の公演だった。カーティスは本当にいいギタリストだよ、あんなに少しの時間でたくさん学べたな。彼はきっと今まで一緒に演奏してきた誰よりも刺激をくれたね、あの柔らかい音でね」と語っている。[6] 1966年に、ヘンドリックスは"(My Girl) She's a Fox"という曲をR&BデュオのThe Icemenとともに収録した。[注釈 2] ヘンドリックスの伝記作者であるハリー・シャピロはこの曲を「カーティススタイルのノリとフレーズで、これこそ事実上「リトル・ウィング」の原型だね」と語っている。[8] のちにヘンドリックスのプロデューサーであるジョン・マクダーモットは、ヘンドリックスの"(My Girl) She's a Fox"への貢献を「エクスペリエンス以前の仕事では最も強力だったんじゃないかな。カーティスに影響を受けたヘンドリックスのギタースタイルが曲を傑作にしているね」と語っている [9]

ヘンドリックス曰く、この曲はもともと、1966年夏のJimmy James and the Blue Flames所属時、 グリニッジ・ヴィレッジでの演奏中に思いついた構想からなっている。[10] のちに、エクスペリエンスでの1967年のモントレー・ポップ・フェスティバルでの演奏で自らがさらに刺激を受けたと語った[注釈 3]

曲の構成

エクスペリエンスのプロモーション写真 1968年ごろ

1967年10月、エクスペリエンスのセカンド・アルバム『アクシス:ボールド・アズ・ラヴ』のレコーディングが、ロンドンのオリンピック・スタジオで行われた。10月25日、R&B志向の強い曲"Wait Until Tomorrow"のレコーディング後、エクスペリエンスは「リトル・ウィング」のオフヴォーカルバージョンのレコーディングをした[13]。のちの完成音源と同じコード展開だったが、この時点ではより力強いロックを感じさせるものであった[14][注釈 4]。 同じ調子で他に録音した後、チャンドラーは異なる取り組み方を求めた。レコーディングエンジニアのエディ・クレイマーは「チャスは何が必要かすぐ分かったんだ。彼はジミにテンポを落とさせ、再びレコーディングをした」[16] と説明している。基本的なパートが完成したのち、ヘンドリックスとクレイマーは1967年10月28日にオーバー・ダビングを施した。[17]このレコーディングのためにヘンドリックスは、自身が弾くギターの音色を最適なものにしようとかなり努力した[18]。リズムギターにおいては、ピックアップセレクターをフロントとミドルの間という常識破りの位置に留めることでハーフトーンを出した。これは時たま「逆位相で配線されたピックアップ」と間違えて説明されることがあった[19]。しかし、リードギターにおいてクレイマーは、ギターの電気信号を増幅させるのにその場しのぎにロータリースピーカーを用いたのだ。これは、通常電子オルガンに使われるものである。[17] 音をうねらすことによって、ロータリースピーカーはビブラートトレモロのようなエフェクトを生み出すことができ、結果として揺れや震えをギターサウンドに付け足すこととなった(ヘンドリックスはのちにユニヴァイブフェイザーエフェクツペダルという方向性の似ているエフェクトを大衆化させた)[20]。次に、ヘンドリックスは純粋な(乾いていて、なおかつエフェクトを通していない)グロッケンを用いて歌とギターを際立たせた[21]。クレイマーいわく、「ジミはスタジオに寝転がっていた奇妙な楽器にいつも目を光らせていたよ」[17] 。そして、Aスタジオでグロッケンを発見した。最後に歌が録音され、音声加工によって優美さが与えられた。これらはADT (音響機器)フェイザーイコライザーロータリースピーカーによる加工など、さまざまな手法で表現された[21][22]

曲のアレンジ面では、シャピロはこうコメントしている。「音楽的に「リトル・ウィング」は、引きつけられるようなイントロやつきまとうようなグロッケンから、ロータリースピーカーのキャビネットをギターに用いたところまで繊細に曲作りがなされているよ」[12]オールミュージックのマシュー・グリーンワルドによると、「柔らかで情熱的なコード展開であり、それがメロディーを導き、かつ曲名や歌詞を正確に反映しているね」[23] 。基本的には4/4拍子で1小節だけスローテンポ(70〜72 bpm)で2/4拍子となっていて、Bメロのないコード展開である。[24][注釈 5]

Em G Am Em Bm–B Am–C G–Fadd9


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