ラヤー・ガールブゾヴァとは? わかりやすく解説

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ラヤー・ガールブゾヴァ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/07 07:14 UTC 版)

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ラヤー・ガールブゾヴァ
生誕 (1909-09-25) 1909年9月25日
出身地 ソビエト連邦 アメリカ合衆国
死没 (1997-01-28) 1997年1月28日(87歳没)
ジャンル クラシック音楽
職業 チェリスト
担当楽器 チェロ

ラヤー・ガールブゾヴァロシア語: Рая Гарбузова /Raya Garbousova, 1909年9月25日 [1] トビリシ1997年1月28日 , イリノイ州ディカーブ)は、アメリカ合衆国の女性チェリスト・音楽教師。

略歴

グルジアに生まれる。1923年モスクワで公式デビューを果たした後、1925年ソビエト連邦を出国し、ヨーロッパを生活と演奏の拠点とする。1935年に初めてニューヨークシティで演奏会を開く。1939年アメリカ合衆国に移住。1948年心臓病学者のカート・ビスと結婚してイリノイ州ディカーブ(DeKalb)に定住。

ガルブゾヴァは、演奏家としての経歴を通して、世界の主要なオーケストラや指揮者の数々と共演してきた。ガルブゾヴァを知る人の多くにとってその名前は、とりわけサミュエル・バーバーのチェロ作品に結び付けられている。バーバーはガルブゾヴァのために《チェロ協奏曲》を作曲しており、ガルブゾヴァはセルゲイ・クーセヴィツキーの指揮とボストン交響楽団との共演で、1946年にその世界初演を行なった。バーバーの《チェロ・ソナタ》のガルブゾヴァによる録音も、同じようなつながりで有名である。

1991年に引退するまで、1973年より北イリノイ大学で後進の指導に当たった。他にもコネチカット州ハートフォードのハート音楽大学でも教鞭を執っており、さらに主要な音楽学校で数多くのマスタークラスを主宰した。

息子ポール・ビスはヴィオラ奏者となり、ヴァイオリニストのミリアム・フリードと結婚した。孫のジョナサン・ビスはピアニストである。

脚注

  1. ^ 資料ごとに生年月日に相違があり、1906年9月25日生れ説や、1905年10月10日生れ説がある。本稿はガールブゾヴァの自己申告に基づいている。詳しくは、こちらのサイト を参照の事。




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