ラディスラフ・ドゥルホシュとは? わかりやすく解説

ラディスラフ・ドゥルホシュ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/21 13:34 UTC 版)

Jump to navigation Jump to search
獲得メダル
チェコスロバキア
男子 ノルディックスキー
ノルディックスキー世界選手権
1984 Engelberg ラージヒル団体
1989 Lahti ラージヒル団体

ラディスラフ・ドゥルホシュ(Ladislav Dluhoš、1965年10月6日 - )はチェコ東部モラヴィア・スレスコ州フリーデク=ミーステク郡Čeladná出身の元スキージャンプ選手。1980年代中盤から1990年代にかけチェコスロバキアおよびチェコ代表として活躍した。

プロフィール

1984年1月14日に地元ハラコフでスキージャンプ・ワールドカップにデビューし4位となって周囲を驚かせた。 サラエボオリンピック代表に抜擢され90m級で12位。続く1984年ノルディックスキー世界選手権団体戦でヴラディミール・ポドジメックイジー・パルマパベル・プロッツともに銅メダルを獲得した。 オリンピック後のワールドカップでも3戦連続して一桁順位に入り総合21位となった。

1984-1985シーズンはシーズン前半不調で、1985年ノルディックスキー世界選手権でも90m級33位に終わった。しかし2月9日に札幌で自己最高位の2位となると、2月17日エンゲルベルクでも3位、スキーフライング世界選手権で5位入賞と成績を伸ばした。

1985-1986シーズンは1月25日に札幌で自己最高位タイの2位となるなど7試合で一桁順位に入り、総合でも自己最高位の10位となった。またスキーフライング世界選手権でも自己最高の4位となった。

1987年ノルディックスキー世界選手権では90m級29位、団体戦4位、70m級53位に終わり、ワールドカップ総合でも47位だった。 1988年カルガリーオリンピックでは70m級90m級とも14位、団体戦では4位。シーズン終盤は3試合で一桁順位に入り総合24位となった。

1988-1989シーズンもシーズン前半調子が上がらず、1月チェコのリベレツ、ハラコフで一桁順位となってから調子を上げた。1989年ノルディックスキー世界選手権では90m級6位入賞、団体戦ではイジー・パルママルチン・シュバゲルコパベル・プロッツとともに銅メダルを獲得した。ワールドカップ総合は12位だった。

1989-1990シーズン、1月12日のハラコフで自己最高タイの2位となったが以降はなかなか良い成績があげられなくなってきた。1991年ノルディックスキー世界選手権ではノーマルヒル26位、ラージヒル25位、団体戦5位。1992年アルベールビルオリンピックには出場出来なかった。

1993年にチェコ共和国スロバキア共和国が独立、1994年リレハンメルオリンピックチェコ代表として2大会ぶりに出場した。同大会スキージャンプ競技ではノーマルヒル2本目に進めず、ラージヒル30位、団体7位だった。

1994年12月11日のプラニツァで14位になったのを最後にワールドカップへの出場は無く、1995-1996シーズンの終了後30歳で現役引退した。

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ラディスラフ・ドゥルホシュ」の関連用語

ラディスラフ・ドゥルホシュのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ラディスラフ・ドゥルホシュのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのラディスラフ・ドゥルホシュ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS