ヨハン6世(ナッサウ=ディレンブルク伯)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ヨハン6世(ナッサウ=ディレンブルク伯)の意味・解説 

ヨハン6世 (ナッサウ=ディレンブルク伯)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/01/26 08:20 UTC 版)

ナッサウ=ディレンブルク伯ヨハン6世

ヨハン6世(Johann VI, 1535年11月22日 - 1606年10月8日)はナッサウ=ディレンブルク伯。ナッサウ家の一族で、オラニエ=ナッサウ家の祖であるオラニエ公ウィレム1世の弟。ナッサウ=ディレンブルク伯ヴィルヘルム1世英語版とその妻ユリアーナ・ツー・シュトルベルクの間の次男。オランダではヤン・デ・アウデ(Jan de Oude)と呼ばれ、オランダ王家の祖の1人と見なされている。

兄ウィレム1世がオラニエ公領を相続したため、ナッサウ家の強大化を嫌った神聖ローマ皇帝カール5世の意向により、父ヴィルヘルムのディレンブルク伯位と所領はヨハンが相続した。八十年戦争において兄や弟たちとともに活躍し、ユトレヒト同盟の成立に尽力、またヘルダーラント州総督1578年 - 1581年)も務めた。その後、兄とは一線を画して、ドイツ西部のナッサウ家の所領の経営と、兄と自身の大勢の子たちの養育に当たった。

家族

父や兄と同様に多くの子をもうけている。

1559年エリーザベト・フォン・ロイヒテンベルク英語版1537年 - 1579年)と最初の結婚をし、11子をもうけた。

1580年クニグンデ・ヤコバ・フォン・ジンメルンオランダ語版1556年 - 1586年)と2度目の結婚をし、2女をもうけた。

1586年ヨハンネッタ・フォン・ザイン=ヴィトゲンシュタイン英語版と3度目の結婚をし、7子をもうけた。

フローニンゲン州フリースラント州の総督はヨハンの家系が世襲したが、エルンスト・カジミールの曾孫ヨハン・ウィレム・フリーゾはウィレム3世(イングランドウィリアム3世)で直系が断絶したオラニエ=ナッサウ家を相続した。




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ヨハン6世(ナッサウ=ディレンブルク伯)」の関連用語

ヨハン6世(ナッサウ=ディレンブルク伯)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ヨハン6世(ナッサウ=ディレンブルク伯)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのヨハン6世 (ナッサウ=ディレンブルク伯) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS