メディアプロデューサーとしての活動(ニッポン放送時代)
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「土屋夏彦」の記事における「メディアプロデューサーとしての活動(ニッポン放送時代)」の解説
1980年、5000分の1という難関をコネで突破してニッポン放送に入社。入社時は技術系であったが、非凡な才能を発揮して制作畑に転進。ディレクター、プロデューサーとして、数多くの番組企画制作、メディアミックス企画、イベント企画を担当。「10回クイズ」「ヒランヤ」「究極の選択」といったラジオ発のヒット企画も数多く生み出す。 特に1995年からは「ゲルゲットショッキングセンター」という有名人が持ち込む私物、お薦めの品をラジオでリアルタイムでゲットできる番組をスタート。アシスタントは仲間由紀恵など。「井手コウジ」という当時ブランニューモンキーズというテレビ朝日のえびす温泉から出た新人ラッパーを起用し10時から深夜1時の3時間を制す人気番組となる。
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