ムハンマドの臨終
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/06 19:42 UTC 版)
「アーイシャ・ビント・アブー・バクル」の記事における「ムハンマドの臨終」の解説
病に苦しむムハンマドが臨終の直前、アブドゥルラフマーンが持ってきたミスクワ(歯ブラシ)に目を留めると、アーイシャは神に死の間際に自分の唾とムハンマドの唾を溶け合わせることの許しを乞い、ミスクワを自分の口に含んで湿らせ、ムハンマドの歯を磨いたという。ムハンマドはそのまま632年6月8日に彼女の部屋で亡くなった。このことから、アーイシャはスンナ派ではムハンマド最愛の妻と考えられている。ただしこれらはあくまでスンナ派の伝承であり、シーア派では信じられていない。 アーイシャはムハンマドに近侍したことから彼の言行をよく記憶し、2210に及ぶハディースや伝承を伝えたとされる。 ムハンマドの死後、アーイシャは預言者最愛の妻としてスンナ派ムスリムの尊敬を集め、初期のイスラーム社会に強い影響力をもった。ムハンマドの死後すぐの段階で、アーイシャはムハンマドが自分の死後アリーを後継者とするよう遺言したアリー派の信者たちの訴えを拒絶したとされる。後年には政治にも関与しており、第3代カリフのウスマーン・イブン=アッファーンの政策を批判した。
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