ムジャーヒディーン、ターリバーン政権 (1992年 - 2001年)
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「アフガニスタンの国章」の記事における「ムジャーヒディーン、ターリバーン政権 (1992年 - 2001年)」の解説
1992年に反政府勢力のムジャーヒディーンが首都カーブルへ入城し、人民民主党政権は崩壊した。ムジャーヒディーンらはアフガニスタン・イスラム国の成立を宣言し、国章は王政時代を下地に剣のサポーターといった新たな要素を加えたものに変更された。 ムジャーヒディーンらは決して一枚岩ではなく、主導権争いが続いていた(アフガニスタン紛争 (1989年-2001年))。その混乱の中でターリバーンが勢力を伸ばし、1996年にカーブルへ入城した。ターリバーンはアフガニスタン・イスラム首長国の成立を宣言し、国章は変更された。なおアフガニスタン・イスラム国政府は首都陥落後も存続はしており、2001年までは二重政府状態が続いた。 2001年9月のアメリカ同時多発テロ事件発生後、アメリカ合衆国率いる有志連合が参戦しターリバーン政権は崩壊した。その後は2001年12月のボン合意まではアフガニスタン・イスラム国が事実上の政府として機能していた。なおターリバーンは首都陥落後もアフガニスタン・イスラム首長国を自称し続けている。 1992-1996(事実上)、2001-2002 1996-2001(事実上)
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