ミーノースとの対立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/03 10:25 UTC 版)
「サルペードーン」の記事における「ミーノースとの対立」の解説
サルペードーンは他の兄弟とともにクレータ島の王アステリオスに育てられたが、成長すると美少年ミーレートス(あるいはアテュムニオス)をめぐって兄弟のミーノースと争った。しかしミーノースはミーレートスがサルペードーンを慕っていたため、戦争を起してサルペードーンをクレータ島から追い払った。サルペードーンは多くの者を率いて小アジアのキリキアに赴いた。そのころキリキアの王キリクスはリュキア人と戦っており、サルペードーンはリュキアの一部を分けてもらうという条件でキリクスの味方をして戦った。その後、約束通りキリクスから土地をもらってリュキアの王となった彼にゼウスは人間の3世代分の寿命を与えた。またミーレートスも小アジアに赴き、都市ミーレートスを建設した。 その後、サルペードーンのもとにパンディーオーンの子リュコスが亡命し、それまでテルミライ呼ばれていた人々はリュコスにちなんでリュキア人と呼ばれるようになったという。
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